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渡部 勝彦    Katsuhiko Watanabe, conductor 

 1972年に渡米後、バトラー大学(フレンチホルン専攻/インディアナ州インディアナポリス市)、シンシナティー大学大学院(オハイオ州シンシナティー市)、インディアナ大学大学院博士課程各音学部に学費全額免除特待生として入学。1979年9月、インディアナポリス歌劇場副指揮者に就任し、オペラの研鑽を積む。インディアナ大学音楽部では、指揮法を教授する傍ら、コンサート・オーケストラ、現代音楽室内アンサンブル、New Music アンサンブルの指揮者として幅広く活動する。1981年4月、ニューヨーク市リンカーンセンター・アヴェリーフィッシャー・ホールにてフィルハーモニー・オーケストラを指揮、同年5月、ニューヨーク市グッドマン・ホールにて現代音楽室内アンサンブルを指揮し好評を博す。1981年5月、インディアナ大学博士課程を単位取得退学。同年8月、ウィスコンシン州にて開催された「全米第8回指揮コンクール」に優勝。

 

 1983年4月、山形交響楽団常任指揮者に就任し、毎年複数の定期演奏会を含む100回を超える演奏会や1990年3月に行われた東京サントリー・ホールにおける「山形交響楽団東京特別公演」の指揮を担当するなど、11年間にわたって同交響楽団の発展に尽力した。

 

 1985年9月、宮城教育大学教育学部助教授に就任、指揮法、合奏等を担当する傍ら、1986年2月には、渡部勝彦ゼミナール・宮城教育大学管弦楽団を創設し第1回目の演奏会を開催する。さらに、1988年4月、山形交響楽団専属「楽友合唱団」を設立し、音楽監督兼運営委員長として、レクィエム、オラトリオ、ミサなどの演奏会を企画し、山形県における合唱音楽の活性化を図る。加えて、山形交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団を含む多数のオーケストラを客演指揮する等、活発な指揮活動を続ける。1993年、宮城教育大学教授に昇任。 

 

 その他、指揮以外の活動として、毎週放送の東北放送ラジオ番組「渡部勝彦の音楽レストラン」のパーソナリティーを1996年以来12年間継続して務めたことに加え、宮城県文化振興財団、東北放送主催による「音楽レストラン」のライヴ版「渡部勝彦の音楽レストラン・オン・ライヴ」パートⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴを東京エレクトロン宮城大ホール(旧宮城県民会館)で毎年開催し、いずれも超満員の中、大好評を博した。これらの活動の他、各種コンクールの審査員や講演会講師への多数出演に加え、宮城県芸術協会や仙台国際音楽コンクール等を通したユニークな企画を多数手掛ける等、幅広い音楽活動を展開している。2011年3月宮城教育大学を定年退職。同年宮城県教育文化功労賞受賞。

 

現在、宮城大学特任教授、宮城教育大学教育学部名誉教授、東北大学非常勤講師、宮城県芸術協会執行理事、栗原市ドリーム・アンバサダー(夢大使)、エマイユ・フィルハーモニック音楽総監督兼常任指揮者、混声合唱団「みやぎコーラルハーモニー」音楽総監督兼常任指揮者、一関市民オーケストラ音楽監督兼常任指揮者、二本松あだたら混声合唱団常任指揮者、MYU杜の混声合唱団音楽総監督、宮城大学管弦楽団音楽総監督兼常任指揮者。

 

 

一関市民オーケストラ    Ichinoseki Civic Orchestra

 一関市民オーケストラは、1988年4月に開設された一関文化センターヴァイオリン教室出身者で結成された弦楽合奏団がはじまりです。

 

 2000年5月、当時宮城教育大学教授であった渡部勝彦氏を音楽監督兼常任指揮者に迎え、「一関室内管弦楽団」と改め第1回一関室内管弦楽団演奏会を開催したのがスタートで現在に至ります。 

 

 現在団員数は30名ほどで、北は花巻市、南は気仙沼市から、また20代から80代の幅広い年齢層の団員が集まり、お互い尊重しながら、また切磋琢磨しながら日々練習を重ねております。   

 

 私たちは、市民から愛されるオーケストラを目指しており、年1回の定期演奏会のほかにも、過去には市民大音楽祭や「第九」演奏会の参加、そして学校や公民館行事の参加、病院でのロビーコンサートなどの活動も行っております。

 

 一関市民オーケストラは、これからも地域に根差した、また演奏を聴いてくださるお客様に、より身近にオーケストラを感じていただけるような音楽活動を目指していきます。

 

 

 

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